貴方を探して私は彷徨う  〜 第一部 後編 翠月華様 side


        




  何度、こんな事を繰り返しただろうか。

 病室と廊下を隔てるドアの前で、勘兵衛はドアを叩こうとした右手をきつく握り締めた。この薄い扉の向こうには、恋い焦がれた彼がいると言うのに、まだ踏ん切りがつかない。銀龍に怒鳴られた翌日から自分はこの扉の前で何度も立ち往生している。

 そう、何度も何度も。

 しかし、今日こそはと決めてきた。今日こそは、彼を迎えにいってやろうと。



     ***


  「怪我の方はだいぶ落ち着いてきました」


 本当はいけないけれど、特別に許可を貰った携帯電話の使用。テレビのニュースで事故を知った、母親代わりの“先生”から何度も着信が入っていたからと急いでかけ直せば、聞き慣れた温かな声音が受話器越しに聴こえて思わず涙が出そうになる。

 『みんな、心配していたのよ?』
 「大丈夫だよ、と伝えて下さい。もう少し怪我の状態が改善したら、一度帰ります」

 どうせ、冬休み明けは自由登校になる。それに、これからの事も考えなくてはならない。
『そうそう、貴方が話していた銀龍さん。とても素敵な方ね』
 主治医として会見の場に出席したらしく、報道陣に対しても凛然とした態度でとても格好良かったらしい。

 「とても良くしていただいてます。とてもお優しい方なんですよ」
 『でも彼女が本命ではないのでしょう?』

 本命、は諦めようと思います。少し、いや、とても名残惜しいけれど、彼の事はもう諦めます、と七郎次は寂しそうに言った。本当は、一目でいいから会いたかったけれど、この足で探しに行くには些か遠すぎる気がして。

 『諦めるなんて、貴方らしくないわね。七郎次、今夜はクリスマスよ』

 そう、特別な一夜。何か、良いことがあるかもしれない。




     ***



 軋んだ音をあげる重いドアを苦労して開ければ、冷たい風が吹き付けた。でも、故郷のそれに比べればずっと温かい。下の階は報道陣で一杯だからと登って来た屋上は誰も居なくて、ただただ下を通る自動車の走行音や、耳慣れた生活音だけが聴こえてくる。見上げた空は漆黒に染まっていて、星が見えないのは曇っているのか、はたまたもともと都会の空は星が見えないのが普通だったか。見渡す限りのきらびやかなイルミネーションやビルの明かりは、そんな星の代わりのようで少し哀しい。

 「…雪…」

 漆黒の天から次々と羽のように軽くふわりふわりと落ちてくる。そっと手を差し出せば、音も無く舞い降りて儚く溶けて消えた。

  白はあの御方が纏う色。
  六花弁はあの御方が愛したもの。
  また生まれ変わる事ができるなら、次は雪になりたい。






    「お前はそこで凍死する気か?」


 この寒空のなかを、そんな薄着で長時間外にいる奴があるかと背後から投げ掛けられた、渋みのある呆れを含んだ声。


   「勘兵衛、様…」


 「黙って抜け出してきたのだろう。銀龍が烈火の如くお怒りだ」

 品の良い着流しに長羽織、片手には外套を抱えて島田勘兵衛は、声音の通り呆れた顔をして立っていた。

  「勘兵衛様」

 どうして。何故、貴方がいるのかと、あまりに突然で理解が追い付かない。

 「旦那が女房を迎えに来て何が悪い」

 ゆっくりと歩み寄った勘兵衛は、少しだけ躊躇いがちに七郎次の冷えた頬に触れた。

 「うちに、来るか?」

 こんなに裏社会の水に浸かってしまったけれど、罪を背負う事になってしまったけれど、それでも良いならうちに来るか、と。

 「女房が旦那を支えぬのでは、いかがいたしましょうか」

 地獄までも共に参りますと、少年は前世で副官に任じられた時の様に艶やかに笑った。



     ***


   師走の下旬某日。


 今日、今話題の彼が退院すると聞いた報道陣が、一瞬でもその姿を視聴者に提供しようとひしめき合っているところへ、いかにもな黒塗りの車が列を成して病院のロータリーに滑り込む。
その中から一台のベンツが正面玄関前に横付けされ、周囲を固めるように止まった他の車から見るからに堅気ではない男達が降りたって頭を下げた。運転手が曇り一つないドアを開ければ、彼らの主が車から降り立つ。外出着に袴を着けた略装、晴れの日に相応しい姿で悠然と歩み始めれば、誰も行くてを邪魔する者はいない。

 「わざわざのお迎え、痛み入ります」

 主治医が押す車椅子に乗って、ゆっくりと七郎次が外へ出て行けば一斉にシャッターがきられ明日の新聞の一面は決まったも同然。

   まったく、何と書かれることやら――。

 勘兵衛は車椅子から軽々と少年を抱き上げて車に乗り込んだ。銀龍が二、三言何か耳打ちをしてドアを閉める。

 「こんな派手なお迎えはなかなかありませんね」
 「自宅前にも傘下の者が挨拶をと待っておる」

 なぁ、関矢。と普段は無口な主が言えば、真面目な運転手は、はいと返事を返した。





      ◇◇◇


 医局にて珈琲を含みながら銀龍は安堵のため息をついた。これでやっと、勘兵衛も七郎次も人並みの幸せを掴む事ができる。


  「私も彼氏欲しいなあ…」


 毎年クリスマスも仕事なんて哀しい、とぼやきつつ、カルテ整理でもしようと立ち上がった。


   次の瞬間、


 歪んだ視界と激しい頭痛に思わずデスクに手を付いた。しかし、それだけでは平衡感覚を失った体は支えきれず床が近くなる。真っ白になった視界、そして走馬灯のように甦る知らない記憶。


 『淡月様』

 『銀龍嬢、どうか無理だけは…』

 『まだ、私の想いに応えてはいただけませぬか?』


 服越しでも冷たい床。自分は倒れたのだと今更ながら気付いて、起き上がらなければと思う反面、意識は闇に沈んでいく。デスクに置いたマグカップを払い落としたらしく床に落ちたそれは、独特の高い音をたてて砕け散った。







   〜Fine〜  09.12.26.


  *えっとぉ〜〜。
   七郎次さんと勘兵衛様が、無事に“再会”叶ったことに関しては、
   心から嬉しくてしょうがないのですけれど。

   いいのかな?
   あ〜んなややこしいお兄さんのこと、
   銀龍様、思い出しちゃってもいいのかな?
(苦笑)


BACK/NEXT


戻る